「結局、人は、たいしたことはできないのだから」
こう思うことで、心が軽くなる方も多いかもしれません。
私は、不安で想いをめぐらすとき、こう思うと楽になります。
偉人と呼ばれる人は、その作品(生み出したもの)について、「自分がさせてもらった」というように言っていることに気が付きます。
神様がおりてきた。とはよく聞く言葉ですが、その神様って、いったいどうしたら会えるのでしょうか。
最近では、「宇宙にお願いすると叶う」というような願い方もよく見られますが、わたしにはいまひとつ、腑に落ちない。
引き寄せもそうですが、お願いがとんちんかんでは、やっぱり叶わない。というのが、今の私の一番の落としどころです。
本心の願いではないことは、たとえそれが叶ったとしても
あなたの心を満たさない。
けれども、どれが本心の願いなのかが、なかなかわかりずらい。
私たちにはどうしようもない、大きな存在があるということが前提でないとですが
人にはそれぞれ、与えられた筏があるのだと思うのです。
その筏の大きさや機能は決まっていて、それに見合った荷物や方向や速さがある。
でも私たちには、自分の筏がどんなものか知らされないので、すったもんだして知ることになる。
自分の筏の大きさ、詰める荷物、こぎ方、休み方。どちらの方向に進むべきか。
さまざまな出来ごとを通して、それを知ることになる。
その流れを知るをために、さまざまなことが起こると言ってもいい。
流れを知って進むべき方向に進むと、心が満たされる。
この、「流れ」を知るためのヒントを
神様や宇宙など、大きな存在とするものが(それはあなたが決めたらいい)
与えてくれるのではないかと思うのです。
これが、宇宙や、引き寄せで叶えられ、かつ、私たちの心を満たすことなのではないかと思います。
結局は、願わされている。人は大したことできないのだから。
自分の力で切り開くことも素晴らしいことです。
けれども、決して驕り高ぶってはいけない。
切り開かねばという思いが、もしもあなたを窮屈にしているとしたら
その手を開き、道具を置いて、ぷかぷかと浮かんでみたらいい。
筏を作り直しに、もと来た路を戻り陸に上がらなくてもいいのです。
波に身を任せ、今必要なものを願ったとき、
必ず、その筏のままで進むべき方に行く「流れ」を知ることができますよ。
大切なのは
流れを知ることができたら、やっぱり自分の手で漕がないとということ。
そこでの努力や頑張りは、あなたの心も体も満たすことになる。
そうしたら精一杯、漕いだらいいんです。
流れは乗るのではなく、流れを知り、自分で漕ぐ。
あなたの筏はどんな形でしょう。
どうぞ素敵な航海を!
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