生きていると、ふと、嫌な思いをしたり、心が傷つくことが起こったりするものです。
前触れもなく(あったかも知れない)ふいに、思いがけず。
そしてそれは、言葉によるものも多い。
もしも、あなたが誰かの言葉に傷ついたら
まずは「傷ついた」と認めていい。
その場で言い返すことができる人もいるでしょうが、ダメージを受けている最中ってなかなか言葉で表現できないことも多いです。
相手が言える人でないかもしれない。
通りがかりの人かもしれない。
言ってもわからない人かもしれない。
もしくは、自分が悪かったのかも、という気持ちがあるからかも知れない。
自分が悪かったのなら、謝ればいい。
でも、これという理由が見当たらなかったり、とはいえ、ということが起きていたならば
あなたは、相手の言葉に(そしてその想いに)傷つけられたということにしていいのです。
でも、傷ついた心を持て余したままでは、もやもやは残るばかり。
相手への想いを、言葉にすることで、その心の行き場所を作ってあげることができます。
そんな時に私が使うのは
「後悔すればいい。」です。
もちろん、私の心を傷つけた人が後悔すればいい。
私に対してあれは間違いだったとか、悪い言葉だったとかと後悔するということでもなく、(それは難しいかも知れない)
いつか、どこかで、関連した物事に対して
後悔すればいい。と
思ってもいいことにしています。
優しい人は、相手を悪く思いたくない。悪者にしたくはない。
なので、自分に許せる言葉を見つけて
それは思ってもいいとして、いいんじゃないかな。
願うのではなく、そう思うことを自分に許可する。
後悔しますように、ではなく、後悔すればいい。
その人が後悔することを、許してあげる。
心の執着は、新しい幸せを見つけづらくします。
できるだけ、もやもやは手放した方がいい。
手放すことを助けてくれるのが、言葉です。
もやもやした気持ちを、言語化することで、その気持ちの行き場所が見つかります。
迷子の気持ちが、もやもやさせるのです。
大丈夫。行先にたどり着けたら
あなたの傷ついた心も、そこで意味を持つことができるから。

ピンバック:後悔すればいい、と思ってもいい | 私とリズムと音楽と